ネフローゼ型腎炎を克服して
1 私の生活歴・美○恵○子・二九歳・洋裁学校生(東大阪市在住)
私は小さい頃から少食で誰よりも細く、よく病人にみられたものですが、これという病気をしたことはありませんでした。
中学一年の時、風邪から慢性蓄膿症となり、冬になると悪化してくるので、三年生の時軽い手術を受けました。
しかし、現在でもまだよく鼻が詰まりますが、別に気にしておりません。
高校二年の終りに学校の健康診断で、尿に蛋白が降りていると言われました。
その後、半年経ってから、精密検査で腎炎と診断されました。
全身倦怠感、顔面のムクミなど自覚症状もありましたので、休学の上、住友病院へ入院しました。
しかし、発病後しばらく治療を見逃していたことを後悔しております。
2 現代医学の治療を続けたが
入院後はネフローゼ型腎炎ということで、副腎皮質ホルモン剤のリンデロンを投与されたのですが、副作用ばかりひどくて病気はいっこうに治らず、半年後退院した時は慢性化していました。
その後、漢方薬を試みましたが効果がなく、それでも仕方なしに復学しました。
しかし、ただ通学しているにすぎないという情けない最終学年でした。
風邪をひくと、すぐ体重が四キログラムも増えたりして、前途は真暗でした。
しかし不思議なことに、ある時期から急に病状が好転し、きれいに治ってしまったのです。
何も療法らしいものをしないのに、自然に治ってしまったのは体質が変わったのだろうと考えて就職もしました。
そして、相当きつい生活もしましたが、別に異状なく、病気のことはすっかり忘れていたのです。
ところが、職場である精神的ストレスを受けることがあり、不眠症に陥りました。
グルコースの血液の測定値が正常範囲とは何か
その時、たまたま歯が悪くなり歯科医で一本抜歯してもらうことになりましたが、抜歯後化膿して顔半分腫れ上がり、三日間絶食状態で寝込んでしまいました。
それから急に全身倦怠、腰痛がひどくなり、近所の内科医に診療を受けたところ、尿蛋白(+++)ですぐ安静を守るように言われました。
そこで再び住友病院へ入院し、プレドニンの投与を受けましたところ、劇的によく効いて一週間くらいで尿蛋白が(-)になってしまいました。
この時は本当に薬の効果に驚き、喜んだものです。
ところが薬の量を減らすと、また尿蛋白が増え、元にもどってしまいました。
クロロキンなどの薬も服用しましたが少しも効果なく、半年余りの入院中、病状は全然好転しませんでした。
そこでいったんこの病院を退院し、以後は自宅で養生することにしました。
退院時は尿蛋白(+++)、血清蛋白量五g/dl、コレステロール三二〇mg/dlと、あまりよい成績ではありませんでした。
退院後は、栄養をたっぷり摂って体力をつけないといけないと思い、食欲がないのに無理に食べたのが悪かったのか、頑固な便秘におちいり、その後甲田医院で断食を行うまで苦しむ破目になりました。
一方、漢方薬やハリ、灸も試みてみましたが、どれもあまり効果がなく、約一カ年くらいですべて中止しました。
後はどうしたらよいのか、全くわからなくなり前途に絶望を感じていましたところ、ある人から断食療法をすすめられました。
早速、本屋で甲田先生の著書『断食療法の科学』を買って読み、大変興味を覚えました。
そして一度、断食を行ってみようと決心しました。
3 甲田先生の指導で活路を見出す
こうして、甲田先生の診療を受けることになったのですが、最初の日、先生は
血圧の仕事はどのようにしますか?
「これは難しい病気やなあ。しかし、あなたが私の言うとおり、真面目に健康法を実行すれば必ずよくなってきますよ」
と、熱意と自信に満ちた声で言われました。
この言葉を聞いて、私の心に大きな希望が湧いてきたのです。
いままで治療を受けた医師の中で、誰一人も良くなると自信を持って言って下さらなかったのですから、地獄で仏に会ったような気持ちでした。
しかし、実際にその健康法を家庭で行う段になって、いままでの養生法、すなわち安静第一、保温、高カロリー、高蛋白の食事とはまるで正反対のやり方でありましたから、少なからず不安を感じました。
ところが驚いたことに、合掌合蹠(がっしょうがっせき)、金魚運動などが効いたのか、十数年来苦しんできた生理痛が、その翌月からウソのように治ってしまいました。
また毛管運動を行うことによって、どうしても取れなかった下肢のだるさが消えて、足に羽根が生えたように軽くなってきました。
その上、青白いムクミ気味の顔が引きしまり、頬に赤味が差してきたではありませんか。
このような病状の好転で、いままで抱いていた不安はすっかり消え去り、この療法で必ずよくなるという自信がでてきました。
そこで一日も早く甲田医院へ入院し、待望の断食をしたいと思い、入院の申し込みをしましたが、私の血清蛋白量が少ないため、まだ断食はできないと断られてしまいました。
このため、一時は落胆しましたが、根気よく健康法を実行し、断食療法のできる身体にまずなることだと胆を決めてかかりました。
しかし、その頃はまだ考えが少し甘かったようです。だって、それから四年間経って、やっと入院が許されるという、まことに遅々たるものであったからです。
それでも、病状は少しずつ良い方に向かっていたので、それほど焦りませんでした。
何が心臓移植時に発生
転院後一年半で血清コレステロール値が正常値に下がり、二年後に尿蛋白が(十)に減ってきたからです。
血清蛋白の方も、最初の頃は増え方が遅々たるものでしたが、良くなる時期がくると急に増えてくるのでビックリしました。
しかも、一日一〇〇〇キロカロリーそこそこの玄米低カロリー食をしているのに。
4 待望の断食入院
いよいよ待ちに待った断食ができる身体になり、喜び勇んで昭和五十二年九月三日甲田医院に入院しました。
それにしても、これまでの四年間の辛抱は、私も家族の者にも大変な忍耐でした。
自宅療養をしていると、いつの間にか健康法の実行が自我流になっていたり、勘違いをしていることが入院後はじめてわかりました。
このため、健康回復に多少のブレーキがかかっていたことと思います。
だから、断食ができなくても、正しい健康法のやり方を学ぶ意味で最初に入院しておけばよかったと考えております。
さて、入院してから、早速断食の準備に入り、九月十八日からいよいよ本断食に入りましたが、最初予想していた以上につらい思いをしました。
でも五日間を頑張り通しました。
私は入院するまで、家庭でだいたい二週間ごとに一日断食をするよう指導を受け、これを約三年余り続行していましたので、断食には「もう慣れている」と思い込んでいました。
だがやっぱり五日間断食ともなると、相当つらいものだとわかりました。
断食二日目の朝には早くも断食反応が出てきて、声がかすれて出なくなってしまいました。
これには本当にビックリしました。
もともと声がよくかすれ、話す時努力しないと大きな声が出ないことがよくありました。
ノドがいつも悪いのだということが、しかしはっきりわかっていませんでしたが、この反応症状で、私のノドの故障を明確に知らされたのです。
断食がやっと終って回復食に入ると、ひどい肩こり、足首の痛み、大腿部の皮下出血など、つぎつぎと反応症状が出てきました。
だがその反面、急に仰臥の姿勢で安眠できるようになりビックリしました。
それまでの私は、横向きか、伏臥かどちらかでないと寝られない習慣があったのです。
そのため、せっかく板の寝床に寝ていても、何の効果も期待できない状態でした。
それが断食後、急に、楽に仰臥で一晩中眠れるようになったのですから、断食のすばらしさに目を見はる思いでした。
先生にこのことを申し上げますと、「それは腎臓の働きがよくなった証拠だ」と喜んで下さいました。
こうしていちおう断食の効果が得られたものの、待望の宿便はごく少量排泄されたにすぎませんでした。
私の腸マヒは相当頑固なものであることを改めて知らされたわけです。
やはりこの上は、何回でも断食に排み、宿便を排泄させる必要があると、覚悟を決めて退院しました。
5 退院後の経過
(続く)
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